千葉翔太

千葉翔太

小さな巨人 千葉翔太 2014年、夏。

昨年の夏、花巻東高校の2番・センターとして甲子園に出場した千葉翔太選手。
奥州市出身の千葉選手は、磨かれたバッティング技術と高い選球眼を生かしたチャンスメイクで客席を沸かせました。
ひと夏の大きな大会を終えて一年が経った今、千葉選手は日本大学の野球部にいます。
名門の花巻東高校でレギュラーの座をつかみ、甲子園の舞台を経験した千葉選手のこれまで、現在、そしてこれからについてのお話を聞きしました。

―そもそも千葉選手が野球を始めたきっかけはなんだったのでしょう?

小学校4年生の時に、父のすすめで水沢リトル(水沢リトルリーグ)に入りました。それが一番最初ですね。

―お父様も野球をされていたんですか?

そうですね、高校までやっていました。

―水沢リトルのときのチームってどんなチームでした?

和気あいあいとしてるというよりは…
勝ちに行くチームでしたね。練習も厳しいと当時感じてました。小4から中1の秋まではリトルリーグで、それからは中学の野球部にも所属しつつ、メインはシニア(水沢リトルシニア)でしたね。
中学で軟式野球部をやりながら、(硬式野球である)シニアをやってる人はそんなにいなかったです。
シニアをやりながらバドミントン部とか陸上部とか、別の部活をやってる人も多くて。

―ということは、小学校から中学時代までは奥州市で野球をしていたということですね。その期間の練習や試合で、思い出に残っていることってありますか?

リトルのときに全国大会に出たのが一番の思い出ですね。
1個上に大谷さん(北海道日本ハムファイターズ)がいたんですよ。大谷さんが中学1年の夏の時に全国大会に出たので、自分はそれについていった感じです。

―その頃、千葉選手は小学校6年生ですね。ポジションはどこだったんですか?

この頃は外野で、レフトでした。

―……すみません、この資料の情報、まちがいでしたかね?中学時代まではピッチャーだったと…。

いえ、ピッチャーもやってました!でもやっぱり大谷さんがいたので、メインは外野で、たまにピッチャーでした。

―では花巻東高校に入って野手に転向したわけではなくて?

そうですね、元々どっちもやっていて、高校に入った当初はどちらかというとピッチャーがメインでした。たまに外野の練習にも入っていて、1年の夏の終わりくらいにピッチャーをやめて野手に専念しました。

―どういう経緯で野手を選んだんでしょう?

ピッチャーで結構打たれていたので、そういう流れになりましたね。

―その頃って、もう甲子園は意識してました?

そうですね、うーん……。いや、あまり甲子園っていうのは意識してなかった気がします。
ただもう、花巻東高校に入るっていうのは中学2年の時から決めていたので。

―なぜ花巻東高校だったんでしょう?

菊池雄星さん(埼玉西武ライオンズ)のときに甲子園に行ったじゃないですか。
その頃に水沢シニアみんなで花巻東に練習見学に行ったんです。そのときの雰囲気に圧倒されて。カバーリングとか声をかけ合ってやってる感じがよくて、すぐに決めてしまいました。
なので、花巻東に入ることは決めてましたけど、当時は甲子園のことは意識していなかったと思います。

―花巻東の野球部は部員数多いですよね。

今、130人くらいですね。自分が入った頃は90人ちょっとだったんですけど、年々増えていて。

―その中でレギュラーを取るのってすごい大変だと思うんですけど、特に苦労したことって何ですか?

やっぱり背が小っちゃいので、大きい人にはパワーはかなわないので。パワー以外でできることで、守備や走塁、小技、バントとか、それだけは確実にできるように意識して練習してました。

―そのための練習ってどうやってたんですか?

チームの中でバント練習という練習はそんなにないので、個人でやるしかなかったですね。
マシーン入れてもらってバントだけを練習したり、バッティング練習に組み込んだりしてました。

―その後、甲子園出場が決まって、実際に甲子園に行った雰囲気ってどうでした?

そうですね、実は高校1年の夏に花巻東が甲子園に出たとき、自分も連れてってもらったんです。
それで甲子園練習っていうのが30分だけできるんですけど、そのときに初めて甲子園のグラウンドに入りました。だから自分が出場したとき、驚きや雰囲気に圧倒されることはなかったですね。
ただ、1試合目だけはかなり緊張してて、ガチガチでした(笑)

―緊張は1試合目だけですか!でも確かに試合を見ていて、緊張してるようには感じなかったです。すごく楽しそうだなぁと。

そうですね、楽しかったですね。

―そんな甲子園を終えて、成長したなって思うことはありました?

難しいなぁ…甲子園を経てというよりかは、甲子園までですかね。
自分たちは2年の秋(秋季大会。この成績を受けて、春のセンバツ出場校が選出される。)、県大会1回戦で負けたんです。1回戦負けってどん底じゃないですか。しかも相手が自分たちより頭のいい公立高校だったので、勉強でも負けて野球でも負けてって感じで…。
そのどん底から、夏は勝つぞ!って気持ちでみんなで冬の練習をして。春はあまり結果が出なかったんですけど、夏はみんなひとつになって勝てたので、チームの成長を感じました。
個人よりも、チームでひとつにまとまる力が成長したんだと思います。

―なるほど~。ちょっと話が飛びますけど、野球を始めてから今までの10年間、野球をやめたいと思ったことってあります?

ま、あるっちゃありますね(笑)

―あるっちゃある(笑)それはどんなときでしたか?

野球を始めた最初の時ですね。リトルのころ、もう~練習行きたくなかったです!コーチも厳しい人が多かったので。

―それをなぜ続けられたんですかね?

それは、父親がそういうところ厳しいので。当時、行きたくなくて泣いたりしてたんですけど連れていかれて(笑)、行ったら行ったで練習するしかないじゃないですか。それで続けられたので、確実にお父さんのおかげでもありますね。

―じゃあそれ以降は辞めたいとか思ったことはないんですね。

ないですね。どんどん楽しくなってます。今も楽しいです。

―今所属している日本大学野球部は、どういう流れで入学を決めたんですか?

花巻東の監督にすすめられたのと、日大の先輩にキャッチャーの佐々木さん(佐々木隆貴 花巻東卒)がいて、練習もキチキチしててすごい良いって話を聞いて決めました。高いレベルのリーグでやりたいっていうのもあったので。

―大学に入ってみて、高校までと違うと感じたことって何かありましたか?

高校も寮だったし今も寮なので、その辺はあまり変わりないですけど、野球のことで言うと上の先輩方の技術とかパワーは高校までとは違うと感じました。

―では最後に。大学での野球生活はまだ数ヶ月ですが、「こんな選手をめざしてる」という像なんかは?

そうですね、やっぱりパワーじゃ勝てないので、守備や走塁でアピールして少しでも勝利に貢献できるような選手になりたいですね。

いきいきとした表情で楽しげに野球について話す千葉選手。
千葉選手のプレーから伝わってくる「野球が好き」という思いをこのインタビューの端々にも感じ、これからの活躍がますます楽しみになりました。
千葉選手、ありがとうございました!

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