♪米im♪My夢♪Oshu♪ 及川久仁江

マイムマイム奥州及川久仁江

日本有数の米どころ奥州市で、休耕田(使われていない田)や転作田(大豆や小麦など、米以外の農作物を作っている田)を有効活用し、新たな産業を生み出そう!というプロジェクトがあります。

米から作る“米エタノール”と“循環”をテーマにしたこのプロジェクトを担う団体が「♪米im♪My夢♪Oshu♪(まいむまいむおうしゅう)」です。

“米エタノール“とはその名の通り、米を発酵・蒸留させた100%天然由来のエタノールです。
この米エタノールの製造を機に、プロジェクトは多彩な展開を見せることになりました。

新しい農業のかたちを模索し、次々に実践する「♪米im♪My夢♪Oshu♪(まいむまいむおうしゅう)」について、代表の及川久仁江さんにお話をお聞きしました。

―まず『「♪米im♪My夢♪Oshu♪」の地域循環プロジェクトについて、簡単に教えてください』という質問を用意していたんですが、言葉で説明するのすごく難しいですよね?

うん、そうだね!図がないと難しい!

…ということで、編集室のほうで「♪米im♪My夢♪Oshu♪」監修のもと、下の図を作りました。

ざっくり言うと「お米から始まり、エタノールや卵や石けんなどが生まれ、またお米にかえるプロジェクト」でしょうか。

―順を追ってお聞きしたいのですが、久仁江さんは「♪米im♪My夢♪Oshu♪」の前身の会にも参加されてたんですよね。

そうです。まだ奥州市が合併する前の胆沢町時代に「胆沢型農業を考える会」というのがあって、これがもう15年以上前だね。


―この頃はまだ米エタノールの話は出ていなかったと思いますが、どんな活動をされていたんですか?

この頃は新しい農業のあり方を考える中で、田んぼには有機肥料を入れたほうが良い作物ができるというのと、堆肥がだんだん野積みできなくなるという話があって。
それで、堆肥を発酵させて有機肥料を作る話なんかをしていました。今の「いさわおがる」だね。
そういう中で農家レストランも研修したりしていて、いずれは地元の農産物でレストランを開きたいねという話も出て。

これが後の「農家レストラン まだきすた」に繋がったそうです。

―久仁江さんご自身は「わがママ倶楽部」も並行して活動されてましたよね。

そうそう。農業を考える会ありきで「わがママ倶楽部」ができたのが1999年。それで2000年に民宿「馬屋小屋」を作ったの。
とにかく、みんなで自由に集まれる場所がほしかったので。

―ちなみに、「わがママ倶楽部」はどんな活動をしていたんですか?

その名の通り自由な集まりで、今で言えば「ママ友」の集団。
自分たちの足で行ける範囲で自主的に研修に行ったりしてたね。
胆沢セミナーハウスが同時期にできて、毎日そこで話し合ったりもしてた。

2002年に作成された久仁江さんの100年計画。この計画の通りになりすぎていて驚きです

2002年に作成された久仁江さんの100年計画。この計画の通りになりすぎていて驚きです

―それから「胆沢農業者アカデミー」ができましたよね。なぜ米エタノールの方向に進んだのでしょうか?

いろんな土地の事例を調べているうちに、バイオマス(ここでは生物由来のエネルギーのこと)という言葉をやたらと聞くようになったんだよね。
当時、胆沢町役場の農林課にいた人が東北大学と繋がりがあってバイオマスに詳しかったり、国から環境系の予算が取れたり、奥州だけでなく岩手全体でいろいろ動きが出てきてたのもあったのかな。
「胆沢農業者アカデミー」のあと、東京農大の人と一緒に米エタノールを製造する話が出て。

―それで市内にラボ(現在は前沢区にあります)を設立することになったんですね。

酒井さん(株式会社ファーメンステーション代表。米エタノールの製造から、消臭スプレーや石けんなどプロダクトの商品化、流通を担当)と出会ったのもその頃ですか?

酒井さんとは、「エタノールの製造方法をもう少し簡単にしよう」という時期に出会って、みんなで大きなビニール袋を持って馬屋小屋に泊まったの。
それでビニール袋でできたエタノールをうちのお父ちゃんがちょっと匂いを嗅いで「これ、美味しいかも!?」と言ってたのをよく覚えてるね(笑)
米エタノールってつまり焼酎だからさ!

―ステキな出会いですね(笑)
では酒井さんがプロジェクトに参加したことで、米から作る石けんや消臭スプレーの商品化に動いたんですか?

いやーまだまだ!
この時点では米エタノールをエネルギー利用しようとしてたんだけど、いろいろ調べるうちにまったく採算性がないことがわかったのね。
「じゃあ何に利用できるのか?」となったときに酒井さんが「石けん」という案を出してくれてサンプルまでは作ったんだけど、この頃が一番苦しい時だったね。
ゆくゆくは奥州市がこの事業から撤退することも決まっていたので、ここですっぱり諦めるかどうかの決断も迫られていて。
酒井さんと上條さん(奥州市役所職員)と三人で会っては、暗い顔で「どうする~・・・?」って話してた(笑)

―その時期はどう乗り越えたんですか?

「あと1~2年で市が事業から撤退しますよ」という雰囲気になってきた矢先に東日本大震災があったの。
当時、自分の中で「ぬか釜再生プロジェクト」を温めてたんだけど、震災を機にOIGENの社長に相談したら「やるなら今しかない!」と言われて、ぬか釜を作ってもらったの。
それを酒井さんに話したら「私もがんばる!」と言ってくれて。

―そんな経緯があったんですね。

そこからは酒井さんの快進撃で、「やるからには売らなきゃ!」ってどんどん進めていって。

―実際に商品を見たときはどう感じましたか?

酒井さんから高級な石けんの例を見せられてたのもあって、奥州サボンもそういう種類のものになるんだろうなぁと思いました。
あと、これは商品でもあるし、プロジェクトのコマーシャルでもあるなと。
この商品をきっかけに奥州市を知る人も出てくると思ったので。

―なるほど、確かに都内でも取り扱いが増えてますし、そうなってきてますよね。
そして今年、また新しくプロジェクトから生まれたものがあるんですよね?

発酵、蒸留した米の残さ(残りかす)をエサにした鶏の鶏糞を肥料に、米を作りました。
普通の鶏糞って、ちょっとも~耐えられないくらいの匂いなの!
そのために、肥料として使うときは発酵させないとダメなのね。
でもこの鶏糞は、もともとのエサを発酵させてあるから臭くないのよ!

―すごい!一石二鳥ですね!

では最後に、今後の「♪米im♪My夢♪Oshu♪」の展望を教えてください。

やっぱり、まずは地元の人たちにもっと広めて知ってもらうことかな!
一言では説明できないプロジェクトだけど、理解してもらうこと。
それから「マイムマイム」という名前にもあるように、一緒に輪の中に入って踊ってもらえるといいなぁ~。

この日は朝早めのインタビューだったにも関わらず、とても元気でパワフルな久仁江さんでした。

そして、このプロジェクトからできたお米と卵の「絶品卵かけごはん」を頂きながら「♪米im♪My夢♪Oshu♪」のプロジェクトを知るワークショップを開催します!

当日は代表の及川久仁江さん、養鶏農家の松本崇さんを迎え、プロジェクトについてはもちろん、久仁江さん流おいしいごはんの炊き方や、レモンイエローの黄身が特徴的な「まっちゃんたまご」ができるまでのお話もお聞きします。

ワークショップのご案内はこちら

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